concentrated benefits and diffused costs
「おなじ10万円がかかっている政策でも、10人の1万円か、1000人の100円かによって実現確率には大きなちがいがある。
多数者である選挙民は自分の票が自分の生活に影響する割合は小さい (1000人の100円だと個々人が調べたり考えたり組織化に協力したり投票したりすることの心理的コストを上回らない) から大して調べたり考えたりしないし、団結しにくく分割統治されやすい。
結果的に、選挙民それぞれには小さいダメージでも人数分合計すると大きいダメージになるというものは見過ごし、大して調べもせず適当に意思決定する(合理的無知、共有地の悲劇)。
あるいはもっと結果に大きな利害関心を持った、したがって組織化するコストに見合う利益を得るだろう、プレイヤー (政治家、行政組織、政策の影響を個々人として大きく受ける企業のロビイストなど) に多くの意志決定を委ねることを甘受する (concentrated benefit and diffused cost)。
かくして、1000人の100円を巻き上げて10人に1万円ずつ配るという政策が実現される。
いや、それはただお金が移動しているだけで減っているわけではないので問題ない、という応答も考えられる。
しかし、1000人の100円を巻き上げる過程でロスが発生し、100,000円だったものが60,000円になるとしよう (貨幣の額面ではなく実質価値として)。
たとえば、100円というのが直接的な課税で調達されるのではなく、関税により買わなくなった商品から得ていた心理的利益がそれくらい下がるとかの間接的な形で支払われるものだとか(いや、消費者余剰がそんだけあるなら、関税あっても外国製品買えばいいのではないのか)。
そうだとすると、それをそのまま10人に配ることはできない。ロスが発生する。
それでも、10人にとっては6000円を得るか得ないかの問題ではある。10人が考え、調べ、組織化する心理的コストが6000円を超えていて、1000人が考え、調べ、組織化する心理的コストが100円を超えないとすれば、10人が勝つことになる。
この場合、お金(に換算したもの)が減っているので、(効率上も) 問題がある。
という話のこと。
出典